とみよこ家族日記

双子子育て中のプロサラリーマンです。自分を見失わない程度に頑張って生きています。

産まれるまでのこと

出産のため一時帰国・入院

妻が高齢で双子で…という条件で、確実にハイリスク妊娠にカテゴライズされる妊娠だった。出産一時帰国とはいえ、管理入院のための帰国で、帰国してしばらく経ったら都内の大学病院に入院した。

毎月1回、休みをとって日本に行った。毎日病院に通って、病院の中で話してた。一緒に休憩室でおやつを食べたり、ベッド脇で仕事をしてて怒られたりした。別れるときは寂しかった。ギリギリまで一緒にいて、空港定額タクシーを初めて使った。

ハイリスク顕在化

そのうちお腹の張りが強くなって、点滴を24時間つけるようになった。ある日、『双胎間輸血症候群』という双子妊娠特有の症状を発症した。血液(栄養)が片方に多く行ってしまい、結果的に胎児が両方共亡くなるリスクがある危険な病気だ。MFICUに運ばれて、副作用が強い薬を点滴して、呼吸が止まったりした。

緊急帰国しようとしたけど、台風で飛行機が1日遅れた。病院に着いて、顔を見るなり泣き出した妻を初めて見た。

そこから、いつ産まれても(産まなくちゃいけない事態になっても)おかしくない状況になった。NICUも準備してもらって、でも、また上海に戻った。

産まれた日のこと

問題がない時の予定日は8月上旬で、帝王切開で産む(=好みの日が指定可能)事が決まっていたので、いつがいいか話し合ったりしてた。それどころじゃなくなってから、お客様にも ”いつ産まれるかわからないので、その時が来たらすぐに帰国します” と予告してその日に備えた。

思ったよりかなり早くその日はやってきた。「予定日までもちそう」と電話した翌日、『やっぱダメだった。今日これから産む』と電話が入った。

急いでチケット買って病院直行したけど、やっぱり間に合わなかった。夜中の1時過ぎに着いて、妻に会って、子供たちに会った。信じられないくらい頭も手も小さくて*1、自分の子供という実感がいまいち湧かなかった。

翌朝、手術直後の腹痛に耐えて足と点滴を引きずりながら子供を抱きに行った妻が、ダムが決壊するように「ばふっ」と言って泣き出した時に、これまで感じなかった感情が湧いてきた。

生まれかわりのこと

家族がふたり増えたけど、それまでに立て続けに家族が3人減った。僕たちの子供をずっと待っててくれて、子供が出来たと知らせた時はものすごく喜んでくれたので、見せて喜んでほしかった。

田舎の家族のなかでは、『子供はじいちゃんの生まれかわり説」が有力である。うーん。子供は子供、別人でいいと思うけど、まあいいか。

出産専門病院のこと

とある大学病院で入院・出産させてもらった。運良く(?)高リスク妊娠だったので普通の出産では入れない高度な専門病院に入ることが出来た。周りに高リスクの妊婦さんもたくさんいた(症状が重い人もいた)けど、全員無事に出産した。

大部屋の友達は今でも連絡をとってる。動けない妻の代わりに、僕がお見舞いできない代わりに洗濯してくれたり、不安な妻と話して元気にしてくれたりした。

MFICUやGICUで見た専門スタッフの皆さん、みんなプロ意識も仕事も凄かった。若い人が比較的多いと思ったけど、年齢は関係ない。この仕事は会社員には出来ない。どんな高リスク妊娠でも絶対救う!というエネルギーが伝わって来る病室だった。

良い病院に入れて良かった(妻が)。日本の出産先進医療は本当にすごい。

*1:結局、普通のひとり妊娠に比べて1ヶ月早く産まれた